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厨黒 - ちゅうくろ -

"厨"ニ病に冒された男が"黒"歴史を綴る、そんなブログ。

退化の行進



 文明が発達してくるにつれて、あらゆることで楽ができるようになった人間がダメになっていく。そんな物語は割と昔からある。近未来的なフィクションものとしてはメジャーもいいところ。

 しかし、現実、それはどうなのかといえば、むしろ近未来どころか、現在もう既に人類はダメになってきている感は否めない。

 電子機器一つにしたってそう、その昔、携帯電話なんて鞄のような大きさの通信用の機械だったらしいが、今では手のひらに収まるサイズで、通話だけに留まらず、あらゆるメディアを取り込んだおおよそ万能な機械へと変貌している。

 ちょっと連絡したいことがある、といったことをほんの百年前くらいだったらどのようになっていたか。相手との距離次第だが、少なくとも数秒で伝えることなんて不可能に近かっただろう。それが今では数百人といわず数千、数万、数億人に同時に物事をリアルタイムに伝聞できる。

 生活環境なんてどうだろう。今、世界の大多数の人間が食事一つするのに大仰なことをしなければならないだろうか。無論、大多数とは言い難い。文化のある国など、苦労することなく、いっそ捨ててしまえる余裕もあるくらいに容易に食事ができてしまうくらいだ。

 何処までも楽ができてしまえる世界が少しずつ少しずつ、また進歩している。

 よく、今の若者は苦労を知らない。若いうちは苦労を金を払ってでもするべきだ、といったことを年配者から口々に言われるものだが、どのようにして苦労するか、徐々に難しくなってきているところはある。

 確かに、世間ではブラック企業と言われるものも噂されるくらいに増えてきた。社畜として死ぬまでコキ使われるという話も上がってくる。苦労なんてものは探せば転がっているのだろうが、それでも苦労は少しずつ影をすぼめてきている。

 連絡するのに電話が要らない。絵を描くのに絵の具が要らない。曲を演奏するのに楽器が要らない。極論かもしれないが、果てや、人工知能も精度を増して機械が人間の仕事を奪うまで至ろうとしてきているのが現実だ。

 人間が必要とされるところは当然あるが、それは必要な人間がやるだけの話で、やはり大多数の人間が苦労から切り離されているというところは否定しきれない。

 八百屋は魚を売らないし、肉屋は家を建てない。餅は餅屋。誰かがやるから自分はやらない。やる必要がない。マルチタスクが必要とされなくなってきている。

 あれもやって、これもできて、それもこなす。そんな万能人はただの便利屋さんか、ごく一部の天才であって、誰もがそうであるという世界ではなくなってきている。

 誰かができるから、誰かがやる。

 そういう思考が根付いて、芽生えて、空に大きく開く花以外は全て地べたを這う雑草のようになっている。そう、思うようになってきた。

 理想だけはいくらでも並べることができるのに、それらを現実のものにするのは他人、なんて考えが当然となっている。今まさにそれが進行しつつある。今もなお、そしてこれからも、それが当たり前のものとして、進行し続けている。

 まだ、それでも成り立っているところはあるかもしれない。でも、いつまでそれが持つのかなんて分からないし、もう、手遅れになっている可能性だってゼロとは言い切れない。

 きっと多くの人間がそれに気づいているのだろうけれど、おおよそ、その誰もが似たようなことを考えているに違いない。この退化への行進にどのような対策を打てるのか。

 誰かができるから、誰かがやってくれるだろう。

 おそらくは、百年前も、千年前からも、これは続いていたんじゃなかろうか。
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