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厨黒 - ちゅうくろ -

"厨"ニ病に冒された男が"黒"歴史を綴る、そんなブログ。

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反射的嫌悪感



 ふと部屋の壁を見たとき、ゴキブリが居たらゾワっとした気分になると思う。

 その理由とは何かと考えたとき、「黒くて気持ち悪いから」とか「足が速いから」と思い至ったり、果てや「ばい菌が大量の繁殖してるから」とか「どんな病原菌を持っているか分からないから」とか思うかもしれない。

 でも、実際のところ、脳はそこまでの処理をしているのだろうか。

 ゴキブリを見かけて、ゾワっとするまでのプロセスに、「黒くて気持ち悪くて、足が速くて、ばい菌が大量に繁殖してて、どんな病原菌を持っているか分からない」という情報を瞬時に弾き出せるのだろうか。まあ、無理な気はする。

 そういう嫌悪感は考えて出てくるものじゃなく、反射的に感じ取るようなものと思う。

 後から考えて出てくる理由なんてものは多分、こじつけが大部分を占めると思う。

 じゃあ何の理由もなしに嫌悪感が出てくるのかといえばそうでもなく、案外理由はもっと単純なものだと思われる。無論、全てが仮定なわけだけれども。

 家ないし、室内にいるときは安心感を覚えるものだが、まずゴキブリはそういうものをぶち破る程度にインパクトがある。体長も数センチとあるし、全員が黒くてテカテカしている。

 それと類似したものが室内にある確率は比較的に低いはず。つまり一目見た瞬間、ソレは室内に存在し得ない物体と認識される。この時点で、軽い恐怖を覚え、脳が検索し始める。アレはなんだ、アレの正体はなんなんだ、と。多分これが最初の嫌悪の正体。

 要は、油断していた、あるいは落ち着いていた心境の中に、ありえないものが飛び込んできて恐怖し、混乱し、そうして頭が正体を必死に検索し、その結果で出てきたものが恐怖やら混乱やらが全ての原因だったと錯覚したものなんだ、と。

 仮に、これがゴキブリじゃなくただの壁の染みだった場合、嫌悪感は何らかの形で変わるだろう。「壁が汚れている。不快だ」「早く掃除しなければ」などなど、壁の染みに対する認識で嫌悪感が処理されていく。そうして考え出された理由もこじつけられる。

 まあ、今回はゴキブリという例えを使ったが、こういう一瞬の認識からの嫌悪感が考え至った理由にこじつけて結びつけられる現象は割と日常的にあるものだと思っている。

 もし、これがゴキブリじゃなくて、人だったら?

 敵はいないだろう、ここは平和だろう、と油断している、リラックスしている心境の中、視野の外や思考の外からふと人とすれ違ったとき、そして恐怖を感じてしまったり混乱してしまうかもしれない。

 そして、もし、そのとき嫌悪感を覚えたとき、その対象がその人にこじつけられてしまうかもしれない。本来いるはずがないだろうと認識している対象が目の前に現れて、嫌悪感を覚えていると錯覚してしまうかもしれない。

「なんでこんなところに人が?」「奇妙だ、奇怪だ」「おぞましい」「気味が悪い」

 対象の正体を探るうちにこんなことを思い始めてしまえば、それがこじつけられてしまう。縁もゆかりもない人だったとしても、瞬時に嫌いな人になりかわる可能性もある。

 この話は、そんなあらゆる可能性が偶然一致したら、という仮定の話なので、そうそうにありえないシチュエーションのように思えるが、まあ、現実、人と会う機会も多ければ、自分が油断しているというシチュエーションも揃いやすいわけで、なんかの拍子で、全然なんでもない人が嫌いになってしまうというこの現象は割とありうると思う。

 もうちょい例えを具体化してみよう。

 学校で、教室の中、授業中。クラスメイトは皆、同じように机に座り、同じように黒板の方を向いていて、同じようにノートに書き取りをしている。そんな光景の中で、一人だけ居眠りしているとする。異質だ。ありえない。目に付いた瞬間、そう思うだろう。

 強いインパクトで印象がつく。そして、次にこう思う。

「どうして授業中に居眠りしているんだろう。おかしい」

 それが嫌悪に変わったとき、気付いたときには居眠りしているその一人だけが嫌いの対象になっている。何故嫌いなのかの理由もハッキリとできる。授業中なのに一人だけ眠っていたから。

 とりあえずは可能性の話。嫌悪感がなければ「ああ、気持ちよさそうだな」としか思わないかもしれないし、全くの同一のシチュエーションだったからといって必ずしも嫌いの対象になるとは限らない。むしろ逆に好きの対象にもなりえる可能性だってある。

 ぶっちゃけ吊り橋効果の別解なわけだが、それだけ人の頭って一瞬での判断で好きだか嫌いだかを弾き出して、後から理由をゆっくりとこじつけちゃうものなんだ、と。とどのつまりの結論はそんなところだ。

 でだ。なんでわざわざ嫌悪感を最初の題材にしたか。一番最初の行からゴキブリがどうとか書き始めたのか。理由なんてものはやっぱり単純にして明快。

 きっとうっかりここまで読み進めてしまった人は、こう思うんだ。

「この人はきっと性格が悪い」「この人の書く文章は回りくどい」「この人は物事を頭で整理できなさそう」「なんでこの人は態度が偉そうなんだ」とかとか。

 仮に、このブログを発見しちゃって、今、初めて記事を読んだ人だったとして、このブログがどんなものかさえ知らない人であっても、結構な確率で嫌いの対象になりえたと思われる。

 嫌悪感だの、ゴキブリだの、気持ち悪いだのあからさま過ぎるくらいに不快なことを髣髴とさせる言葉が並べてあるんだから、そうもなるはず。文字を読まなくなって、ページ開いたらなんか長いんだから、そうもなるだろう。

 さて、答えあわせだ。

 自分の思っているこの「吊り橋効果」の別解とやらはおそらく割と正しい。この記事を読み進めて、比較的早い段階で嫌悪感を何処かしらに覚えていれば、これが正しかったと証明されたようなものだ。
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