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厨黒 - ちゅうくろ -

"厨"ニ病に冒された男が"黒"歴史を綴る、そんなブログ。

パードゥン




 自分が人に言われて一番傷つく言葉は「何を言っているのか理解できない」だが、これまでそこそこにこそこそ人生を歩んできて、割とよく言われている言葉もコレな気がする。頻度的に言えば今日も言われたし、先週も言われたくらいだ。

 端的にコミュニケーション能力が欠落しているという話で、かといって自覚してれば克服できる、などという簡単な話でもない。それでできているのならそんなことを日常的に言われることも早々ない。

 治せで治るならこの世に医者も病院も概念ごと存在し得ない。

 難しいもんだ。言葉の表現、使い方、その他もろもろのスキル的な何か。しかし、ソレを流暢にこなせなかったら人間ではないのではないだろうか。言葉を扱える理性的な動物だからこそ人間なわけで、言葉を扱えないならソレ未満ということになるのでは。

 まあ、言葉というもの自体、自然界に存在するもんでもないし、知能の端っこからはみ出てきた伝達用の手段の一つに過ぎないわけで、動物的に言えば鳴き声みたいなもんか。それが現代にはどれだけ散らばっているのやら。

 土地も違えば言葉も違うし、同じ国内であっても方言やら訛りやらの違いもある。いつの時代の人間が作ったのかも分からないような古い言葉もあれば、外来語をごちゃ混ぜにしたような言葉もあり、昨今じゃ流行の一端か造語もあふれ返ってる。

 言葉を理解するなんて、実は無理なんじゃなかろうか。

 昔、会社で少し忘れてた事柄があって謝罪する際に「すみません、失念しておりました」などと言ったときには「しつねん? って、どういう意味?」とか言われちゃったりするし、「自分で言葉を作るな」だとか「一般的じゃない言葉をさも当然のように使うな」だとか散々言われた記憶もある。

 バベルの塔の裁きだか何だか知らないが、あまりにも言葉がバラバラに散って、バラバラのまま、またいくつかに分岐しすぎだと思う。異口同音、同音異義、うんたらかんたら、かんたらうんたら、知ってるはずでも、常識のはずでも、まるで違う言葉が飛び交っている。

 言葉を理解できないのもされないのも、必然で当然か。
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